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東京高等裁判所 昭和30年(ナ)27号 判決

原告 丹羽幸蔵

被告 群馬県選挙管理委員会

補助参加人 中島勇雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、参加によつて生じた部分をも含めてすべて原告の負担とする。

事実

第一、(当事者の求める判決)

原告代理人は、「昭和三〇年四月三〇日執行の桐生市議会議員選挙の当選の効力に関して中島勇雄が提起した訴願に対し、被告が同年九月一三日した裁決は、これを取り消す。」との判決を求め、被告代理人は主文同旨の判決を求めた。

第二、(原告の主張)原告代理人は、請求の原因として、次のように述べた。

一、昭和三〇年四月三〇日執行の桐生市議会議員選挙(以下本件選挙という)において、選挙会は、得票総数八八八・〇二四票の高橋延次郎を最下位当選者、得票総数八八八票の原告を次点者(最高位落選者)と決定したが、同年六月九日当選者石川政三が死亡したので、同年六月一六日原告の繰り上げ当選を決定した。

二、しかるところ、落選者である被告補助参加人中島勇雄は同市選挙管理委員会に対し、本件選挙における当選の効力に関して異議の申立をし、棄却されるや、更に被告群馬県選挙管理委員会に対し訴願を提起したところ、被告は同年九月一三日、「昭和三〇年四月三〇日執行の桐生市議会議員選挙における当選の効力に関し同市浜松町二丁目七九〇番地中島勇雄の異議申立に対し同年六月一六日同市選挙管理委員会のなした決定は取消し、当選人丹羽幸蔵の当選を無効とする。」との裁決(以下本件裁決という)をしたが、その裁決の理由は次のようである。

すなわち、被告補助参加人は、戸籍上の氏名は「中島勇雄」であるが、幼少の頃病弱であつたことから、呼び名を「寅雄」と称し、爾来家庭内はもちろん、一般からも「寅雄」と呼称されていること、また被告補助参加人は昭和二〇年当時から現在地で製綿業を相当手広く営んでいるので、一般から「綿屋さん」とも呼称されていることから、同人には「寅雄」、「ワタヤノトラチヤン」、「なかとら」又は「ワタヤ」等の通称がある事実が認定される。従つて、これらの通称を記載した投票は、他の候補者中にこれに当たる氏名又は通称を有する者がないと認められるので、公職選挙法第六七条の規定の趣旨にかんがみ、被告補助参加人の有効投票と解すべきである。しかし、単に「とらを」又は「とらちやん」と仮名で記載された投票は、候補者中他に今泉虎雄があるので、両候補者のいずれを指したものか判定しがたいから、公職選挙法第六八条の二の規定により、被告補助参加人及び今泉虎雄の得票に按分すべきである。被告委員会では本件選挙における全開票区の投票全部を調査したところ、

(1)、第一開票区において、候補者中島源吉の有効投票中に、「中島わたやさん」の一票が混入されているので、これを被告補助参加人の有効投票と認める。

(2)、同開票区において、候補者今泉虎雄の有効投票中に、「とらを」の一票が混入されていたので、これを被告補助参加人及び今泉虎雄の得票に按分する。

(3)、第一一開票区において、無効投票中に、「トラチヤン」の二票が混入されていたので、これを有効とし、被告補助参加人及び今泉虎雄の得票に按分する。

(なお、同開票区において、被告補助参加人の有効投票中の二票は、何びとを記載したものか確認することができないので、これを無効と認める。)

(4)、第一五開票区において、無効投票中に、「ナカトラ」の一票が混入されていたので、これを被告補助参加人の有効投票と認める。

(5)、第一六開票区において、無効投票中に、「ナカトラ」の三票及び「中トラ」の一票が混入されていたので、これを被告補助参加人の有効投票と認める。

(6)、第一七開票区において、無効投票中に、「ナカトラ」の二票、「なかとら」の一票及び「中島ハタ」の一票が混入されていたので、これを被告補助参加人の有効投票と認める。

調査の結果は以上のとおりであるから、被告補助参加人の得票総数は結局、選挙会が決定した得票総数八八一・二七九票より一〇・三八〇票増加して、八九一・六五九票となり、従つて原告の得票総数八八八票より三・六五九票多くなるので、当選の結果に異動を及ぼすことになる。というのが本件裁決の理由である。

三、しかしながら、本件裁決は、以下に述べる理由によつて、不当である。

(一)、(裁決を不当とする理由の第一点)

被告補助参加人は、本件選挙における当選の効力に関する前記異議及び訴願の理由として、第四ないし第一七開票区における「ワタヤ」、「ワタトラ」、「ワタヤノトラチヤン」又は「トラチヤン」と記載された投票計八五票は、被告補助参加人の有効投票としてその得票に算入されるべきであつたのに、これらを無効投票として処理されたこと、第一〇開票区における「中島」と記載された投票二票は、被告補助参加人と候補者中島源吉との得票に按分されるべきであつたのに、これを中島源吉のみの有効投票として計算されたことを、主張したのであつて、本件裁決の理由に掲げる「ナカトラ」又は「中トラ」等と記載された投票の効力については、異議及び訴願のいずれの理由としても、なんら主張されなかつた。被告委員会が訴願を裁決するに当たつては、その審査の範囲は、異議又は訴願の理由として主張された事項のみに限定され、それを越えては審査の権限がないのに、この審査の範囲を逸脱し、被告補助参加人が異議及び訴願のいずれの理由としても主張しなかつた前記事項について審査し、これに基いて本件裁決をしたのは、越権行為であつて、不適法である。

(二)、(裁決を不当とする理由の第二点)

本件裁決の理由に掲げる「中島ハタ」、「とらを」、「トラチヤン」、「ナカトラ」、「中トラ」又は「なかとら」の投票は、以下(1)ないし(4)に述べるように、被告補助参加人の有効投票とは認められず、仮りにそう認められるとしても、被告補助参加人と他の候補者の得票に按分されるべきものであるから、被告補助参加人の有効得票総数は原告の有効得票総数より多くなることなく、従つて当選の結果に影響を及ぼすことがない。

(1)、被告補助参加人が幼少の頃「寅雄」と改名したことはなく、従つて同人に「寅雄」又は「なかとら」の通称はない。故に、第一開票区における「とらを」の一票、第一一開票区における「トラチヤン」の二票、第一五開票区における「ナカトラ」の一票、第一六開票区における「ナカトラ」の三票及び「中トラ」の一票並びに第一七開票区における「ナカトラ」の二票及び「なかとら」の一票は、いずれもこれらを被告補助参加人の有効投票と認めることはできない。

(2)、仮りに被告補助参加人に「寅雄」又は「なかとら」の通称があるとしても、第一六開票区における「ナカトラ」の三票及び「中トラ」の一票は、無効投票と認めるべきである。

なんとなれば、(イ)、第一六開票区に当たる桐生市相生町は、旧相生村であつて、昭和二九年一〇月一日桐生市に合併され、昭和三〇年四月三〇日執行の本件選挙に際し、はじめて桐生市議会議員の選挙区に編入されたのであるから、同開票区の住民は、被告補助参加人が「寅雄」と呼称され、同人に「なかとら」の通称があることを全然知らなかつた。(ロ)、第一六開票区域内の相生町一丁目に居住する下山寅吉は、米穀、肥料雑貨商を手広く営み、その屋号を「中屋」と称している関係から、通称を「中屋の寅さん」又は「中寅」と呼ばれているが、長年旧相生村における区長、消防団長、村会議員の名誉職につき、殊に旧相生村が桐生市に合併されるまで同村議会の副議長の地位にあつたので、同開票区においては最も有名人である。また同人は本件選挙に当たつては、いつたん立候補を声明したことがあるばかりでなく、立候補断念後も候補者栗原清太郎の選挙事務長として選挙運動に活躍していたため、同開票区の選挙人は同人が立候補したものと誤信する者があつた。以上二つの理由により、同開票区における前記四票は、被告補助参加人の通称を記載した有効投票と認めることができず、むしろ候補者でない下山寅吉を記載したものと認めて、これらを無効投票と解するの外はないからである。

(3)、「ハ」の字は、接続詞として使われる場合は格別、冠頭詞として使われる場合には、「ワ」と読まれることはあり得ない。加うるに、桐生地方には「ハタヤ」と呼ばれる機業を営む者が数多いばかりでなく、本件選挙の候補者自身の中に、右の「ハタヤ」が少くなかつた。故に、第一七開票区における「中島ハタ」の一票は、これを「中島ワタ」の誤記と解して、製綿業を営む被告補助参加人の有効投票と認めることはできない。

(4)、本件選挙における候補者であつた中島源吉の亡父は、戸籍上の氏名を「中島寅蔵」と称し、桐生に居住すること三〇余年、伍長委員、道路改善委員長等の公職にあること一五、六年、土地の最も有力者であつて、「なかとら」、「とらさん」の通称があつたが、桐生地方では先代の通称をそのまま後継者の呼称とする慣習があり、中島源吉もその先代の通称で呼ばれ、「なかとら」又は「とらさん」は同人の通称となつている。故に、本件選挙において、「とらさん」の通称を有する候補者としては、被告補助参加人及び今泉虎雄の外になお中島源吉があり、「なかとら」の通称を有する候補者としては、被告補助参加人の外になお中島源吉がいるのであるから、第一一開票区における「トラチヤン」の二票は右三候補者の得票に按分し、第一五開票区における「ナカトラ」の一票、第一六開票区における「ナカトラ」の三票及び「中トラ」の一票は、(仮りにこれらが右(2)記載のように無効投票ではないとすれば、)右二候補者の得票に按分し、また第一七開票区における「ナカトラ」の二票及び「なかとら」の一票も同じく右二候補者の得票に按分すべきである。

四、以上によつて明らかなように、本件裁決は不当であるから、その取消を求めるため、本訴に及ぶ。

第三、(被告の答弁)被告代理人は次のように述べた。

一、原告が請求の原因として主張する前記第二の一及び二の事実は認める。

二、(原告主張の第二の三の(二)の(2)について)第一六開票区に当たる桐生市相生町が旧相生村であつて、昭和二九年一〇月一日桐生市に合併されたことは認めるが、そのために、同開票区の住民は、被告補助参加人が幼時から「寅雄」と呼ばれ、同人に「なかとら」の通称があることを知らなかつたとの原告の主張は当たらない。被告補助参加人が立候補に際し、「なかとら」の通称があることを桐生市選挙管理委員会に届け出て、立札及びちようちん等にもこの通称を掲げて、選挙運動をした事実から見ても、同開票区の住民が被告補助参加人の通称を知らなかつたとは言えない。

また同開票区域内の相生町一丁目に居住する下山寅吉について、「中屋の寅さん」又は「中寅」の通称があることその他原告主張のような事実があることは知らない。仮りに下山寅吉に右のような通称があるとしても、本件選挙の候補者である被告補助参加人に「なかとら」の通称がある以上、立候補制度を採用する公職選挙法の趣旨からいつて、第一六開票区における「ナカトラ」の三票及び「中トラ」の一票を、候補者でない下山寅吉を記載したものとして、無効と解することはできない。

三、(原告主張の第二の三の(二)の(4)について)本件選挙における候補者中島源吉に「なかとら」又は「とらさん」の通称のないことは、同人の近隣について調べて見ても明らかであり、また同人が立候補届出の際桐生市選挙管理委員会に提出した「旧氏名、通称、雅号等の申告書」に、その通称として、「なかげん」又は「なかじまにくや」とのみ記載し、「なかとら」又は「とらさん」の通称があるとは記載しなかつたことによつても明らかである。故に原告が主張するように、中島源吉にこのような通称があるものとして、「トラチヤン」、「ナカトラ」、「中トラ」又は「なかとら」と記載された投票を、同人の得票に按分することはできない。

第四、(被告補助参加人の主張)被告補助参加人代理人は次のように述べた。

一、(原告主張の第二の三の(二)の(1)について)被告補助参加人は二、三才の頃病弱のため、呼び名を「寅雄」と改めて以来、学校においてはもちろん、世間一般からも「とらを」と呼ばれ、同人の戸籍名が「勇雄」であることを知る人も少なく、同人を「勇雄」と呼ぶ人もない程であつて、「とらを」、「なかとら」又は「とらちやん」は同人の通称となつている。それだからこそ、被告補助参加人は本件選挙において、これらの通称を有することを、桐生市選挙管理委員会に届け出たばかりでなく、ポスターにも記載し、演説においても周知徹底させたのである。

二、(原告主張の第二の三の(二)の(4)について)本件選挙における候補者中島源吉の先代寅蔵は、一般に「ばくろうのとらさん」又は「つちやまのとらさん」と呼ばれたのであつて、同人に「なかとら」の通称はなかつた。もとより中島源吉には「なかとら」又は「とらちやん」の通称はなく、屋号として「中島肉店」又は「中源」を用いているだけである。

仮りに、中島源吉に「なかとら」又は「とらちやん」の通称があり、従つて原告が第二の三の(二)の(4)に掲げる「トラチヤン」、「ナカトラ」、「中トラ」又は「なかとら」の投票は、その主張のように、被告補助参加人又は今泉虎雄の外になお中島源吉の得票にも按分すべきものであるとしても、その計算の結果は、(1)、第一一開票区における「トラチヤン」の二票については、〇・七九八票、(2)、第一五開票区における「ナカトラ」の一票については、〇・五〇〇票、(3)、第一六開票区における「ナカトラ」の三票及び「中トラ」の一票については、二・五〇〇票、(4)第一七開票区における「ナカトラ」の二票及び「なかとら」の一票については、一・六五五票が、被告補助参加人の有効投票として按分加算されることになるので、これら按分票数の外に被告補助参加人の有効投票と認められる、第一開票区における「中島わたやさん」の一票、同開票区における「とらを」の一票に対する按分票数及び第一七開票区における「中島ハタ」の一票を、選挙会が決定した八八一・二七九票に加算すると、結局被告補助参加人の有効得票総数は八八九・〇八九票となり、原告の有効得票総数八八八票はもちろん、最下位当選者高橋延次郎の有効得票総数八八八・〇二四票より多くなるから、当選の結果になんら異動を生じない。

第五、(証拠関係)〈省略〉

理由

一、昭和三〇年四月三〇日執行の本件選挙において、選挙会が、得票総数八八八・〇二四票の高橋延次郎を最下位当選者、得票総数八八八票の原告を次点者(最高位落選者)と決定したが、同年六月九日当選者石川政三が死亡したので、同年六月一六日選挙会が原告の繰り上げ当選を決定したこと、落選者である被告補助参加人が桐生市選挙管理委員会に対し本件選挙における当選の効力に関する異議の申立をしたが、棄却の決定を受けたので、更に被告委員会に対し訴願を提起したところ、被告委員会が同年九月一三日原告主張のような理由により、本件裁決をしたこと、は当事者間に争がない。

二、そこで、原告が本件裁決を不当とする理由について、

以下に判断する。

(一)、(裁決を不当とする理由の第一点について)

成立に争のない甲第一〇号証(乙第一号証に同じ)によると、被告補助参加人の前記訴願は、本件選挙の第四ないし第一一開票区及び第一三ないし第一七開票区における「ワタヤ」、「ワタトラ」又は「ワタヤノトラチヤン」と記載された投票計八三票は、同人の有効投票と認められるのに、無効投票として処理されたことを理由として提起されたものであることが明らかであつて、本件裁決の理由に掲げる「ナカトラ」又は「中トラ」等と記載された投票の効力について、不服が主張されたと認めるに足りる証拠はない。(なお、被告補助参加人の異議申立の理由がなんであつたかについては、甲第九号証はその成立が認められず、他にこれを知り得べき証拠がない。)

しかしながら、訴願庁が裁決をするに当たつては、職権を以てその基礎とすべき事実を探知し得べきことはもちろん、必しも訴願人が異議又は訴願において主張した事実のみに拘束されるべきものではないのであるから、(昭和二九年一〇月一四日最高裁判所第一小法廷判決参照)、被告委員会が、被告補助参加人の訴願の理由として主張しなかつた事項、すなわち、「ナカトラ」又は「中トラ」等と記載された投票の効力について審査し、その結果に基いて本件裁決をしたからといつて、これを不適法とすることはできない。

(二)、(裁決を不当とする理由の第二点について)

(1)、検丙第一及び第二号証の存在並に証人藤井助次郎、同田島浅平、同津久井好雄、中島熊次、同鈴木正、同斎藤半七郎、同田中良作、同田中島子之吉、同藤生繁司、同佐瀬鉄次、同松井豊吉、同森高三の証言を総合すると、被告補助参加人は幼少の頃病弱であつたので、いわゆる姓名判断の結果、戸籍名の「勇雄」はそのままとして、呼び名を「寅雄」とつけ、以来近隣はもちろん、一般からも「とらを」「とらさん」と呼ばれ、そのため、同人を知る者のうちにもその戸籍名が「勇雄」であることを知らない者さえあること、また同人は現在地で製綿業を手広く営み、「中島」の「中」の字と「寅雄」の「寅」の字のみを合せた「中寅(なかとら)」の略称が取引先その他に通用していること、同人は本件選挙において、立候補の届出と共に、「なかとら」の通称があることを選挙長に申告し、選挙運動のため使用したちようちん及びポスター等には同人の氏名の外に「なかとら」又は「ナカトラ」と附記し、選挙演説でも同人を「とらを」又は「なかとら」と呼称する旨を演述したこと、が認められ、右認定を覆すに足りる証拠がない。これらの事実によると、「とらを(寅雄)」又は「なかとら(中寅)」は被告補助参加人の通称であると認定することができる。

成立に争のない乙第二号証の四によれば本件選挙の立候補者の中に今泉虎雄なる者があり、同人の名と被告補助参加人の通称とは同一である関係にある。従つて第一開票区における「とらを」の一票、第一一開票区における「トラチヤン」の二票、(以上の投票の存在が当事者間に争のないことは弁論の全趣旨から認められる)は右両候補者の同一の名或は名に愛称を附して記載したもので公職選挙法第六八条の二により有効投票と認めるべきである。次に第一五開票区における「ナカトラ」の一票、第一六開票区における「ナカトラ」の三票及び「中トラ」の一票並びに第一七開票区における「ナカトラ」の二票及び「なかとら」の一票(以上の投票の存在が当事者間に争のないことは弁論の全趣旨から明らかである)は、いずれも被告補助参加人の通称を仮名で、あるいは漢字と仮名を混用して、記載したものとして、同人の有効投票と認めるべく、被告補助参加人に右のような通称がないことを前提としてこれらの投票の効力を否定する原告の主張は理由がない。

(2)、本件選挙において第一六開票区に当たる桐生市相生町は、もと相生村であつたが、昭和二十九年一〇月一日桐生市に合併され、従つて本件選挙に際しはじめて桐生市議会議員の選挙区に入つたこと、は当事者間に争がないが、それだからといつて、必しも同開票区の住民は、被告補助参加人が「とらを」と一般に呼称され、同人に「なかとら」の通称があることを全く知らなかつたとは断言することができない。

次に、証人青木多十郎、同栗原清太郎及び同小林元男の証言、証人久保田蓬作、同佐瀬鉄次及び同森高三の証言の一部並びに原告本人の供述を総合すると、第一六開票区に属する相生町一丁目に居住する下山寅吉が、一般に「下寅(しもとら)」と呼ばれる外に、同人が米穀、肥料、雑貨商を営み、その屋号を「中屋(なかや)」と称する関係から、「中屋の寅さん」略して「なかとら」と呼ぶ者があること(証人久保田蓬作、同佐瀬鉄次及び同森高三の証言中この認定に添わない部分は信用しない)、相生町がもと相生村であつた当時、同人が長らく区長、消防団長等の職につき、殊に相生村が相生市に合併されるときまで同村議会の副議長をつとめていたこと、本件選挙の立候補届出期日前には、同人が本件選挙に立候補の意思があることを一部の人に語り、また一部の人にはそのように噂をされたこともあつたが(原告が言うように、同人が立候補を一般に声明したことがあるとは、これを認めるに足りる証拠がない。)、結局立候補しないで、同町内に居住する候補者の栗原清太郎のため選挙事務長として選挙運動をしたこと、が認められる。

しかしながら、立候補制度を採用する現行公職選挙法の下では、選挙人は、特に反対の意思が明らかでない限り、候補者中の何びとかに投票する意思で投票したものと推定するのが相当であつて、本件の場合下山寅吉が相生村議会の副議長その他の公職をつとめたこと、一部の人に立候補の意思があることを語り、そのように噂をされたこと、また他の候補者のため選挙運動をしたことがあつたというだけでは、必しも選挙人が同人の立候補を誤信したものとは断定することができないし、またそう認定するに足りる証拠は、たやすく信用することができない。証人青木多十郎の証言部分及び原告本人の供述部分を除いては、他に存しないのであるから、たとえ下山寅吉が「なかとら」と呼ばれる等同人に前記の如き事情があつたとしても、「なかとら」が本件選挙の候補者であつた被告補助参加人の通称であると認められる以上、第一六開票区における「ナカトラ」又は「中トラ」と記載された投票は、これを候補者でなかつた下山寅吉を記載したものとは認め難く、候補者であつた被告補助参加人の有効投票と解すべきである。これらの投票を無効とする原告の主張は理由がない。

(3)、桐生地方には織物製造業者が多く、これをはたや(機屋)と称することは、原告の言うとおり顕著であるが、本件選挙の候補者中に中島の氏を称する者は被告補助参加人の外に中島源吉のみであることは、前掲甲第一〇号証及び乙第二号証の四(候補者一覧表)によつて明らかであり、しかも中島源吉は後記認定の如く食肉商であるから、本件選挙における候補者の中には中島というはたやはいなかつたと認められる。またわが国の「ハ」の字は、助詞として用いる場合にのみ「ワ」と読み、それ以外の場合には「ワ」とは読まないのであるが、「ハ」の字を助詞として用いる場合に「ワ」と読むことから、「ハ」の字と「ワ」の字を混用する者があつて、ことばのはじめに用いる場合にまで、「ワ」という語音を表わす趣旨で誤つて「ハ」の字を用いることがないでもない。これらのことに、被告補助参加人が一般にわたやと呼ばれる製綿業を営んでいることを考え合せると、第一七開票区における「中島ハタ」と記載された投票は、被告補助参加人の氏にその職業を書き加えて同人を表示するつもりであつたが、「ワタヤ」の「ワ」を「ハ」と誤り、なお「ヤ」を脱字して、「中島ハタ」と記載したものと解されるから、これを同人の有効投票と認めるを相当とすべく、これを無効投票とする原告の主張は採用することができない。

(4)、証人久保田藤兵衛、同須藤益男、同中島源告、同星野房吉、同田島浅平、同中島熊次、同中島子之吉、同鈴木正、及び松井豊吉の証言を総合すると、本件選挙における候補者であつた中島源吉の亡父は、戸籍名を「寅蔵」と言い、はじめはばくらう(牛馬売買商)で、後に食肉商となつたが、長らく方面委員、伍長委員、道路改善委員長等の公職をつとめ、「ばくろうのとらさん」又は「つちやまのとらさん」と呼ばれた外に、「中寅(なかとら)」の通称があつたことが認められるが、「桐生地方では相続人を先代の通称で呼称する慣習がある。」との証人久保田藤兵衛、同須藤益男及び同中島源吉の証言はたやすく信用することができず、他にこのような慣習があることを認めるに足りる証拠がない。また証人久保田藤兵衛、同須藤益男、同中島源吉、同星野房吉及び原告本人は、中島源吉に「なかとら」又は「とらさん」の通称があるように証言又は供述し、原告本人の供述によつて原本の存在及びその成立を認める甲第七号証にもこのような趣旨の記載があるが、成立に争のない乙第二号証の二並びに証人中島源吉、同田島信二、同栃木昂及び同津久井好雄の証言によると、中島源吉が立候補届出に当たつて選挙長に提出した「旧氏名、通称、雅号等の申告書」には、同人の通称として、「なかげん」「なかじま」、「にくや」の記載があるのみで、その他の記載がなく、選挙運動に使用した立札及びポスターには、氏名のかたわらに、「なかじまにくや」又は「なかげん」と記入されていたこと、が認められるので、これらの事実に徴するときは、前掲の証言、供述及び記載内容は信用することができず、他に中島源吉に原告主張のような通称があることを認め得べき証拠がない。

以上のように、「なかとら」又は「とらさん」が中島源吉の通称であるとは認められないのであるから、第一一開票区における「トラチヤン」の二票、第一五開票区における「ナカトラ」の一票、第一六開票区における「ナカトラ」の三票及び「中トラ」の一票並びに第一七開票区における「ナカトラ」の二票及び「なかとら」の一票は、中島源吉のためにも有効として、これを同人の得票に按分加算すべきものとする原告の主張は理由がない。

(5)、しかして、前掲乙第二号証の四(候補者一覧表)によると、本件選挙において、「とらを」又は「とら」という氏名又は名(通称又は雅号を含めて)の候補者は、被告補助参加人の外に今泉虎雄があるのみであるから第一開票区における「とらを」の一票及び第一一開票区における「トラチヤン」の二票は、公職選挙法第六八条の二の規定によりこれらを各開票区ごとに、右両候補者のその他の有効投票数(前掲甲第一〇号証並びに原本の存在及びその成立について当事者間に争のない甲第五号証を総合すると、第一開票区における被告補助参加人のその他の有効投票数は一〇票、今泉虎雄のそれは一八票であり、第一一開票区における被告補助参加人のその他の有効投票数は三七二票、今泉虎雄のそれは六票であることが認められる。)に応じて按分すると、第一開票区においては、〇、三五七票、第一一開票区においては、一、九六八票が被告補助参加人の得票に加算されることになる。これらの票数合計二、三二五票に、更に、既に述べたところにより被告補助参加人の有効投票と認めるべき第一五開票区における「ナカトラ」の一票、第一六開票区における「ナカトラ」の三票及び「中トラ」の一票、第一七開票区における「ナカトラ」の二票、「なかとら」の一票及び「中島ハタ」の一票並びに被告補助参加人の有効投票と認められる(この点については、弁論の全趣旨に徴して当事者間に争がないものと認める)第一開票区における「中島わたやさん」の一票が加算されるべきである。他方第一一開票区において被告補助参加人の有効得票とされたものの内二票が無効とせらるべきものであることは当事者間に争のないところと認められるから、この二票は同人の得票数から差引かなければならない。以上の計算によると、結局、被告補助参加人の有効得票総数は、選挙会が決定した得票総数八八一、二七九票(この票数については、弁論の全趣旨に徴して当事者間に争がないものと認める。)より、一〇、三二五票を増加して、八九一、六〇四票となり、従つて原告の有効得票総数八八八票より、三、六〇四票多くなるので、当選の結果に異動を及ぼすことになる。

してみると、原告が本件裁決を不当とする理由の第二点は、その他の点について判断するまでもなく、失当であるといわなければならない。

三、以上の次第であるから、被告委員会がした本件裁決はなんら不当でなく、原告の請求は理由がないものとして棄却すべきである。よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条第九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 角村克己 菊地庚子三 吉田豊)

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